時代を掴む人間の法則 5 (具体的な成果主義習慣. 1)

あなたの仕事は、「ルーチンワーク」それとも「成果主義」?

よく仕事に対する「遣り甲斐」の話を耳にする。確かに「遣り甲斐」を感じながら仕事ができるという事は、とてもハッピーな事ではあるがなかなかサラリーマンでは難しいと思っている方は多いのでは無いだろうか?実は、以前私がそうであった。自分が不慣れな仕事が嫌で嫌で仕方がなく、自分の能力の無さに何度も落ち込んでいた。そんな時、独立してとても楽しく仕事に打ち込んでいる方に出会った。その時に彼からこんな質問を受けた。「あなたは、仕事をさせられていますか?それとも、仕事をしていますか?」私はその時に愕然とした事を今も覚えている。私は、事実として仕事をしていない事に気付かされたのだ。そして彼は、続けざまアドバイスを一つだけ私にくれた。「小さな成功の積み重ねが大きな成果を生み出す。あなたの今日の成果は如何でした?」この言葉にも私はショックを受けた。毎日がルーチンワーク化していた私には、今日の成果など存在しなかったのである。

何かをスタートする時には、必ず目標(成果)を明確にする!

私は、その時から物事を一つ一つじっくりと考えるように心がけた。それは、毎日の日常の一コマでもそうである。昔、「今を生きる!」という言葉が好きで色々なものに書いていたが、本当の意味をやっと少し理解した気がした。毎日、今日やる事と欲しい成果をイメージして一日の終わりにその成果を確認をする。この成果は、本当にたいした内容でないにしても不思議なことに段々と大切に生きようとしだす自分にびっくりする。つまり、やらされている自分から前向きに物事を捉える積極的な自分に変わったのである。そして不思議に遣り甲斐が出て来たのである。

時代を掴む人間の法則 4 (コミュニケーション〜現象心理学から〜)

誰もが「傷つきたくない症候群」

人前で自分の考え方をズバズバと言える人は、とても素敵で羨ましい!いつからだろうか、人の反応を気にしながら言葉を発するようになったのは?小さい頃は、一生懸命に自分の考えを主張していたのに・・・。しかし、実は誰もが社会で生きる技術として自然に身につけた「防衛反応」であり、特に嘆く事は無いと最近になって気付いた。私だって、皆に愛されたいし、良く思って欲しい。当たり前の事である。

「真実は、態度や言葉の逆の法則」

沢山の方をカウンセリングしていた時にある事に気付いた。それは、第1印象と本当の人間像は真逆であると言う事。例えば、もし孤独を楽しんでいると感じさせる方がいたとしたならば、実は本心は凄く寂しがり屋なのである。例えば、がさつで男らしい女性がいたとしたならば、実は女性らしい弱さを隠しているだけなのである。だから、もし初めてあった方の本質を知ろうと思うならば、印象の逆だと思えばまず間違い無いだろう。(ただし、本当に自然体に生きている方や長い付き合いで言い訳の出来ない方は、当然当てはまりませんが)

「文章」「言葉」「絵画」に反映されるコンプレックス!

相手を良く知ろうとする時に「文章」を書かせたり、「言葉」を言わせたり、「絵」を書かせたりする。これは、必ず自動反応で無意識で現れる自分のコンプレックスを見抜く為である。人は、誰もが常に意識してるコンプレックス(性格、体型、状況等)がある。それを相手に悟られないように意識をするが、カウンセラーはだからこそ見抜く事が出来るのである。

コミュニケーションの極意

もし、あなたが相手の言葉に対して一喜一憂しないトレーニングをしたならば(カウンセラーの基礎トレーニング)相手の本心を手に取るように理解する事ができるし、相手の本音を引き出す事が出来るようになる。また、あなたは周りの方から信頼を勝ち取る事になるだろう。まずは、自分というものを棚上げして(プライドを全て捨てて)相手のペースに乗ってあげてください。そうすれば、相手の本当の姿(子供の時の姿そのもの)が見えてきて思わず抱きしめたくなるはずです!

時代を掴む人間の法則 3 (常に全力!100%コミットメント!)

「断捨離」のあとは・・・?

明日生きている保証はないからこそ、一瞬、一瞬の「時間」を大切にし、本当に必要なものだけを身の廻りに置き、常に「整理整頓」を心がけると不思議に「心」に余裕が生まれる。これを「断捨離」というのだろうか?そこには、個人的な欲望は無くなり、「何故自分は生きているのか?」といった不思議な問いかけが聞こえてくる・・・特に宗教にはまっているわけでもなく、スピチュアルな人間でのない普通の人間である。そんな私ですら、悟りの様な境地に陥るのは面白い。

「今を生きる!」

不思議と将来こうなりたいとかこういったものが欲しいとかそういった欲求は無くなり、毎日を一生懸命に生きようと思う様になる。そういえば、末期癌を宣告された方が、後半年の寿命も危ういというのに新しい勉強を始めたといった話を思い出した。もしかして、こういった心境だったのかもしれない。人間は、死を覚悟しないと本当の自分を見つけられないのかもしれない。

自分に問いかけよう!「今幸せか?今、全力か?」

子供の頃を思い出す。あの頃は、疲れるから少しセーブしようとか、今これをやると良くないとか全くそんな事を考えず常に全力であった。いつからだろう、こんなにも臆病になったのは。いつからだろう、自分に嘘をつくようになったのは。いつからだろう、こんなにも廻りの目を気にするようになったのは。もし、あなたが全力で何かにトライした場合、他人は必ずあなたに対し茶化したり、あなたの失敗に対して大笑いするだろう。しかし、それでももし、あなたが全力でやり続けているとしたならば・・・廻りの人間はそんなあなたの姿を見て自分を振り返る事だろう。そして、不思議に誰もが真剣に生きる事の素晴らしさを感じあなたを見る目が温かいものに変わるはずである。嘘だと思うならば是非、トライをして欲しい。多分、本当のあなたに出逢えるだろう。

時代を掴む人間の法則 2 (環境に対するルール)

宗教の教えの原点は、清掃から!

チェンマイは、仏教徒の都市ともいえる。街のいたるところで朝のお祈りから始まる。これがとても自然である。また、街のあちこちでは、清掃が行われている。夜遅くまで屋台で賑わっていた街にしてはとても綺麗である。暮らしている市民の意識なのだろうか?

心の修行は、まず身近な整理整頓から!

小学校からいつも目にしてきた言葉「整理整頓」。親や、先生からは、うるさく「しつけ」をされてきたが全くできていない自分がいた。その理由としては、ものや人に対しての感謝を全く感じていなかったからだと思う。あまりに当たり前にものがあり(いや、逆に溢れかえっていた)何不自由なく育ってきたからだ。今もどちらかと言うと同じ環境かもしれない。欲しいと思えば何でも買えてしまう。だから、余計なものまで勢いで買ってしまうのである。こんな人間が、世の中の見えない声を聞けるわけがない。常に自己満足で尚且つ、我を通す様な生き方しか出来ないのは当たり前である。もしかして、今の日本の政治家も同じかもしれない。ただ、ここチェンマイにきて、最低限度の生活をしてみると面白い事に気付く。まずは、整理するほどものがない。それに、また日本に戻らなければならないと思うと無駄なものは全く買う気が起こらない。値段は日本に比べてはるかに安いのだが、よく吟味して買っている自分がいる。そして、何と毎日を少しでも気持ちよく生活する為に『環境ルール』を自分なりに作り出していたのだ。日本の生活とは大違いである。朝起きたら直ぐに床の水拭き。掃除の範囲も適当ではあるがルール化をされ、洗濯や買い物も自分なりの法則で生活をしているのである。もし、このリズムが崩れるととても気持ちが悪い!だから、例え身体が疲れていても、朝の予定があっても続けてしまうのである。

今も修行中!

不思議なことにこの様な生活を続けていると、何をやっても真剣に取り組む様になる。また、言い訳を言わなくなった自分に驚いている。そして、初めて「整理整頓」の意味が分かったような気がする。

時代を掴む人間の法則 1 (時間のルール)

同じ24時間

チェンマイにいると「一人一人が自分の時間を生きている」事に気付かされる。同じ24時間を生きているのに日本での生活とは全く違う。朝起きて掃除、洗濯をし、朝食を食べ昼間の時間を過ごし、夕食を食べ寝るまでの自分の時間を過ごし、そして就寝する。同じようなリズムを刻んでいるのに違うのである。

「あなたは、生きていますか?」

もし、「あなたは、生きていますか?」と聞かれたらどう答えるであろうか?日本にいた時は「生物学的には生きているが、人間としては・・・?」答えられなかったかもしれない。しかし、ここチェンマイに住んでいるタイ人や外国人は多分こう答えるであろう。「24時間、私は生きている!」と。日本人の考え方として「何かを掴もうと思うならば何かを犠牲にしなければならない」といったものを感じるし、私もそう思ってきた。しかし、ここチェンマイにいるとそうでは無く、「ビジョンをしっかりと持ち其れに向かって真剣に生きる事が大切!」であり、何かを犠牲するといった考え方自体全く感じられない。

それぞれの生き方を尊重する!

「家族の為に」「会社の為に」「社会の為に」・・・これが典型的な日本人の考え方かもしれない。少なくとも私はそうであった。しかし、この考え方は実は現実からの逃避とも捉える事が出来る。何故ならばこれであれば、沢山の言い訳を並べる事が出来たからである。「お金が無いと生活が出来ない」「付き合いを大切にしなければ」「サラリーマンだから仕方が無い」等々。チェンマイで過ごす人達には、全く言い訳が無い。何故なら自分で今の人生を選択しているからである。自分のビジョンの為に毎日を生きているのである。「それは、独身だから出来るのだ」と思われるかもしれないが、当然家族持ちは沢山いる。そして、夫婦や親子間でお互いのビジョンを共有しそこに時間を使えるように協力をしている。誰も誰かの犠牲を望んでいないし、お互いのビジョンを大切にしている。

もう一度、古の日本の文化を!

私は、このチェンマイにいてこう感じる。もともとこれは日本人の文化でもあったのではないかと。確かに「武士道」や「農家」の文化では、自己犠牲といった意味合いで捉えられる場合が多いのかもしれないが、本来はそうでは無かったように思う。家族が其々の役割(家長、母親、子供、祖父母の其々のポジション)を明確に演じていただけで、それを大切にする事が家族の幸せと考えていたのではないかと思う。それが第二次世界大戦で日本が負け、欧米の資本主義文化による日本人教育が徹底的に行われ、今の日本はその副作用(うつ病や凶悪犯罪、ドラック等々)によって苦しんでいる状態のような気がする。ただ、同時に日本人の「自己免疫作用」は素晴らしいものがあると私は信じる。そしてそれはもう芽生えてきているように感じる。

先ずは、時間のルールから!

昭和の時代には「5時から男」「アフター5」、平成に入り「新人類」「ゆとり世代」等々、企業側の立場では「ダメサラリーマン」、社員側からすれば「ブラック企業」。サラリーマンのキーワードから察すると、昔から日本人の考え方の中に幸せに生きる為の「本当の答え」を持っていたのではないかと感じる。それは、毎日必ず『自分の時間』を持つという文化である。客観的に日本の企業をみるとこの文化を持っている企業は、繁栄をし、そうでない企業は消滅をしていっているような気がする。これに関しては、「社員が夜中まで自分の時間を犠牲にしてきた企業が上場をして繁栄をしているのでは?」と反論も沢山ある事は重々承知をしている。しかし、高度成長期と現代の状況はやはり違い、今の企業に関して私はそう思うのである。

結論を言うと、「時代を掴むひと」「時代を掴む企業」の条件は、時間に対してとても重要且つ慎重に扱い、それに対してしっかりとしたルール化をしている事。是非、あなたもそういった人や企業との関係を深めて欲しい。「時間」の使い方は、あなたの「生き方」や「思想」を詳細に反映しています。ぜひ、一度今の時間の使い方の棚卸しをされてみてはいかがでしょうう?

アロママッサージは、最高のコミュニケーション!

アロマの極意

アロママッサージを体験した事は、あるだろうか?これほどまでに気持ちよく、尚且つ癒されるマッサージは無いだろう。アロママッサージは、気軽に出来るハンドマッサージと、本格的なエステティシャンが行う、全身、ヘッド、フェイスマッサージに別れる。ポノポノクラブでも気軽に出来る「ハンドマッサージ講座」は行われているが、ぜひオススメはボディマッサージである。施術に合わせたオイルの選択と目的別の施術は、あなたのマッサージの概念を変えさせる事となるだろう。

ボディマッサージの極意

ボディマッサージも、いくつかに分類でき、癒しを目的にした「月と風」のソフトマッサージとコリを取る「太陽と炎」のハードマッサージ。部位別のマッサージや「SEN(セン)」別のマッサージ。特に男性に必修は、女性のバストマッサージである。変な目的では無く、自分の奥様や恋人の為に「バスト・アップマッサージ」はオススメである。相手に合わせた「アロマ」の選択から、要望に合わせた手法の選択は心から相手を思う気持ちを最大限に表現してくれる。こんなに癒される、そして相手を信頼出来なければやれないマッサージは、本当に素晴らしい!

タイ医学の考え方

センの考え方

タイ古式マッサージの基本的な考え方は、目に見えない「SEN」(セン)といったエネルギーの流れが体内に72000本あり、その「SEN」がブロックされ、エネルギーの流れが滞り病気になると言ったものである。タイマッサージは、そのセンのブロックを取り除きエネルギーの流れを良くする手法である。ただ、間違ってはならないのは、だからと言って病気を治す手法と考えるのではなく、人間が持つ「自然治癒力」を活性化させる為の手法である。

重要なSEN「スマナ」

セン・スマナは、身体の中央を通る一番重要なセンである。このエネルギーが滞ると「消化器系」「循環器系」「呼吸器系」そして、「自律神経系」と全てに症状が出やすくなる。逆に考えると、中心を柔らかくして常にエネルギーを流す事で健康を保つ事ができる。ぜひ、近くのタイ古式マッサージの先生にこの「セン・スマナ」の簡単なマッサージやストレッチを教わり毎日、自分自身でこのエネルギーを流して欲しい。