時代を掴む人間の法則 2 (環境に対するルール)

宗教の教えの原点は、清掃から!

チェンマイは、仏教徒の都市ともいえる。街のいたるところで朝のお祈りから始まる。これがとても自然である。また、街のあちこちでは、清掃が行われている。夜遅くまで屋台で賑わっていた街にしてはとても綺麗である。暮らしている市民の意識なのだろうか?

心の修行は、まず身近な整理整頓から!

小学校からいつも目にしてきた言葉「整理整頓」。親や、先生からは、うるさく「しつけ」をされてきたが全くできていない自分がいた。その理由としては、ものや人に対しての感謝を全く感じていなかったからだと思う。あまりに当たり前にものがあり(いや、逆に溢れかえっていた)何不自由なく育ってきたからだ。今もどちらかと言うと同じ環境かもしれない。欲しいと思えば何でも買えてしまう。だから、余計なものまで勢いで買ってしまうのである。こんな人間が、世の中の見えない声を聞けるわけがない。常に自己満足で尚且つ、我を通す様な生き方しか出来ないのは当たり前である。もしかして、今の日本の政治家も同じかもしれない。ただ、ここチェンマイにきて、最低限度の生活をしてみると面白い事に気付く。まずは、整理するほどものがない。それに、また日本に戻らなければならないと思うと無駄なものは全く買う気が起こらない。値段は日本に比べてはるかに安いのだが、よく吟味して買っている自分がいる。そして、何と毎日を少しでも気持ちよく生活する為に『環境ルール』を自分なりに作り出していたのだ。日本の生活とは大違いである。朝起きたら直ぐに床の水拭き。掃除の範囲も適当ではあるがルール化をされ、洗濯や買い物も自分なりの法則で生活をしているのである。もし、このリズムが崩れるととても気持ちが悪い!だから、例え身体が疲れていても、朝の予定があっても続けてしまうのである。

今も修行中!

不思議なことにこの様な生活を続けていると、何をやっても真剣に取り組む様になる。また、言い訳を言わなくなった自分に驚いている。そして、初めて「整理整頓」の意味が分かったような気がする。