時代を掴む人間の法則 1 (時間のルール)

同じ24時間

チェンマイにいると「一人一人が自分の時間を生きている」事に気付かされる。同じ24時間を生きているのに日本での生活とは全く違う。朝起きて掃除、洗濯をし、朝食を食べ昼間の時間を過ごし、夕食を食べ寝るまでの自分の時間を過ごし、そして就寝する。同じようなリズムを刻んでいるのに違うのである。

「あなたは、生きていますか?」

もし、「あなたは、生きていますか?」と聞かれたらどう答えるであろうか?日本にいた時は「生物学的には生きているが、人間としては・・・?」答えられなかったかもしれない。しかし、ここチェンマイに住んでいるタイ人や外国人は多分こう答えるであろう。「24時間、私は生きている!」と。日本人の考え方として「何かを掴もうと思うならば何かを犠牲にしなければならない」といったものを感じるし、私もそう思ってきた。しかし、ここチェンマイにいるとそうでは無く、「ビジョンをしっかりと持ち其れに向かって真剣に生きる事が大切!」であり、何かを犠牲するといった考え方自体全く感じられない。

それぞれの生き方を尊重する!

「家族の為に」「会社の為に」「社会の為に」・・・これが典型的な日本人の考え方かもしれない。少なくとも私はそうであった。しかし、この考え方は実は現実からの逃避とも捉える事が出来る。何故ならばこれであれば、沢山の言い訳を並べる事が出来たからである。「お金が無いと生活が出来ない」「付き合いを大切にしなければ」「サラリーマンだから仕方が無い」等々。チェンマイで過ごす人達には、全く言い訳が無い。何故なら自分で今の人生を選択しているからである。自分のビジョンの為に毎日を生きているのである。「それは、独身だから出来るのだ」と思われるかもしれないが、当然家族持ちは沢山いる。そして、夫婦や親子間でお互いのビジョンを共有しそこに時間を使えるように協力をしている。誰も誰かの犠牲を望んでいないし、お互いのビジョンを大切にしている。

もう一度、古の日本の文化を!

私は、このチェンマイにいてこう感じる。もともとこれは日本人の文化でもあったのではないかと。確かに「武士道」や「農家」の文化では、自己犠牲といった意味合いで捉えられる場合が多いのかもしれないが、本来はそうでは無かったように思う。家族が其々の役割(家長、母親、子供、祖父母の其々のポジション)を明確に演じていただけで、それを大切にする事が家族の幸せと考えていたのではないかと思う。それが第二次世界大戦で日本が負け、欧米の資本主義文化による日本人教育が徹底的に行われ、今の日本はその副作用(うつ病や凶悪犯罪、ドラック等々)によって苦しんでいる状態のような気がする。ただ、同時に日本人の「自己免疫作用」は素晴らしいものがあると私は信じる。そしてそれはもう芽生えてきているように感じる。

先ずは、時間のルールから!

昭和の時代には「5時から男」「アフター5」、平成に入り「新人類」「ゆとり世代」等々、企業側の立場では「ダメサラリーマン」、社員側からすれば「ブラック企業」。サラリーマンのキーワードから察すると、昔から日本人の考え方の中に幸せに生きる為の「本当の答え」を持っていたのではないかと感じる。それは、毎日必ず『自分の時間』を持つという文化である。客観的に日本の企業をみるとこの文化を持っている企業は、繁栄をし、そうでない企業は消滅をしていっているような気がする。これに関しては、「社員が夜中まで自分の時間を犠牲にしてきた企業が上場をして繁栄をしているのでは?」と反論も沢山ある事は重々承知をしている。しかし、高度成長期と現代の状況はやはり違い、今の企業に関して私はそう思うのである。

結論を言うと、「時代を掴むひと」「時代を掴む企業」の条件は、時間に対してとても重要且つ慎重に扱い、それに対してしっかりとしたルール化をしている事。是非、あなたもそういった人や企業との関係を深めて欲しい。「時間」の使い方は、あなたの「生き方」や「思想」を詳細に反映しています。ぜひ、一度今の時間の使い方の棚卸しをされてみてはいかがでしょうう?